げぷろぐ

好きなことをダラダラ

診断名を知ってしまったこと

 昨夜、病院の紹介状を開けてしまった。転居先で行こうと思っている病院が合わなかったりした場合のためにコピーをとっておこうと思ったから。たぶん、本当はやってはいけないし原本じゃなければ意味はないのかもしれないのだけど、知りたいなっていう気持ちもあって開けてしまった。軽い気持ちで開けてみたら、随分とショックを受けた。

 診断名は、境界性人格障害ADHD

 なるほどそうかと納得もしたし、その診断をまだ受けるのか、とつらい気持ちにもなった。

 

 実家に帰ってから一度、仕事をしだす前に精神科に行ったことがあった。生育歴や通院歴を話した長いカウンセリングの後に、医者と話して言われたことは、「あなたは境界性人格障害で、治るものではないから、私はあなたを診ません」ということ。

 治療を受ける資格すらない。結局、働きだしてから自律神経をおかしくして他の病院で診てもらうことになったけど、今日に至るまで、境界性人格障害という診断名は、私にとっては社会から疎外されてしかるべき存在につけられる名前なのだという認識がどこかであった。

 境界性人格障害の人間に見られるという、強い怒りと攻撃性。思い込みの強さ。他者を動揺させるような自傷行動。

 全部身に覚えがあって、私が関わったせいで傷つけた人たちに申し訳なくて、どうして私はこうなんだろうと、生まれついて持ったコントロールできない感情や思考の特性が憎かった。

 

 働きだしてADHDだという自覚を持ち始めた後、自分の思考の癖を直そう、特性を少しでもコントロールできるようにしようと思って、不注意を減らせるようにとか、衝動的な感情を他者にぶつけないように抑える訓練を自分なりにするようになった。せめて自分で選んだ仕事では人に迷惑をかけず、自立できるようになりたいと思ったから。一人で暮らせるだけ、息子と二人で暮らせるだけの力が持てれば、実家の家族とも離れて、傷つけずに済むようになると思った。

 そう思って仕事をがんばったけど、やっぱり過集中の反動で倒れたりとか、希死念慮が消えなくなって、もう本当に無理だ、やっていけない、死のうと思って、たくさん処方されていた薬を全部飲んだ。ストラテラまで飲んだのは意味がわからないけど、でもその時は、自分が傷ついていることに気づいて欲しくて過量服薬をしたわけじゃなかった。ただ苦しみから解放されたかった。

 その出来事のあと、仕事をやめて、恋人と出会って、通院しながら一年と少しかけて徐々にやれる家事の量が増えて、恋人と息子と三人で暮らすことを決めた。胸を張れるほどではないけど、自分の感情や思考を落ち着かせるように、自分で感情の舵取りが昔よりはできるようになったと思った。

 

 それで、自分に少し自信を持ってもいいかな、と思えるようになったけど、通院していた病院でも結局、『境界性人格障害』というラベルが自分についていることを知ってしまった。

 どう頑張っても他の人みたいに仕事がこなせなくて、学校だって卒業できなくて、子育てもちゃんとできなくて、それで、人にとってはただ迷惑な、治らないと言われるパーソナリティを持っている。じゃあがんばればいい、悪いところは直していけばいい。わかっている、やっていく。

 じゃあなぜ、診断名に人格障害だと書かれていることがそんなにショックなのか。自分が傷ついた時に、不安な時に、他者を傷つける意図のある行動・行為をしようとしている自覚があるから。

 きっと、医者の人が考えているように、この性質は治らない。ずっと自分を律していかないと、大切な人を傷つけたり、関係を壊していって孤独になる。わかってる。

 

 また転居先で新しい医者にかかる時、私は「境界性人格障害ADHDの患者」としてスタートする。でも、「境界性人格障害ADHDを自覚して他者を攻撃せずに生きようとしてい」る自分がいなくなるわけじゃない。傷ついても諦めない。

 どういう行為や行動が「やさしい人」なのか分からないけど、がんばる。