げぷろぐ

好きなことをダラダラ

初診で転院を勧められたこと

 紹介状を持って、転居先でお世話になろうと思っていたクリニックに行ってみた。カウンセリングを受けて、診察室で医師に会った。もうなんだか記憶が曖昧だけれど、結果としてはそこでは人格障害の患者は診れないからと、他の人格障害の患者を受け持っているクリニックを教えてもらい、また紹介状をもらった。

 なんだかつかれてしまった。『人格障害』と一度診断が下りたら、もう自分の思いはすべて『人格障害の患者の声』としか受け取ってもらえないものなのか。

 自分の情緒の問題もたしかにあるけど、外出する時に汗が止まらなくなったり、バスの降車ボタンが怖くて押せなかったりして動悸がするとか、自分のパーソナリティとは違う領域の問題について話せなかった・聞いてもらえるだけの余白が診察室の中になかったのもつらかった。自分のパーソナリティについては自覚的に治していきたいと思っているから、対人関係以外の困難について相談させてほしかった。

 ああもう私はこのお医者さんには『境界性人格障害ADHDの患者』としてしか見られていなくて、私が話したいことを話せる場所じゃないんだって思ったら、泣いてしまった。お医者さんはお医者さんが想像する『私』と会話していて、なんとか伝えたいことを伝えようとしている私は必要ないんだって思ってしまった。こうやって考えてしまうところが人格障害の特徴が出ているのかと、なんだかすごく落ち込む。私の言葉より、お医者さんにとって必要なのは診断書とカウンセリングで集めた断片的な情報なんだ。コミュニケーションなんだろうか、それって。

 紹介状に人格障害だと書かれているのを読まれた時点で、私はきっと、昨日行ったクリニックのお医者さんからは他のクリニックに転院させることを決められていたんだと思う。しょうがない、お医者さんだって人間だ。問題のありそうな患者を診ない判断をする人もいる。そもそも専門じゃないのかもしれない。

 病院に行くの、怖くなっちゃった。病院との関係は薬がもらえればそれでいいし、がんばるのは自分だっていう考えは変わっていないけど、お医者さんにすら危害を与える可能性のある存在として扱われたことがつらい。でも、診察を断られたクリニックのお医者さんに教えてもらった病院には行ってみようと思う。困っていることとか、自分の性格についてちゃんと文章にまとめて、言うべきことと治していきたい症状、なくなると困る薬は伝えられるようにがんばろう。

気分の変動

 前回のブログで「死にたい」という言葉に収束してしまうつらい気持ちの理由を綴った。生きるために「死にたい」を自分で消せるようになりたいから、理由の一つ一つに対処法を持てればと思った。

 子供といる時間は楽しい時もあるしつらい時もある。一日のことを書こうと思うと、一つ一つの出来事の消耗感が脳内で再現されてつかれるのであまり書かないけど、とりあえず言えるのは、息子の望むこと・私が親としてしてあげたいこと・やらないとその後何も出来なくなってしまう息子にまつわるお世話的なこと、それら全てに取り組もうとしても、気力も体力もついていけない。

 育児は感情労働としての側面が私には強い。例えば階段から飛ぶように降りるのをやめて、と息子に注意する時には、危険なことをした息子を叱らなくちゃ、という気持ちと、もし怪我をしたら、という時の言い表せないショックの予感が同居している。感情が同居していて、さらにそれが表出する時には怒りという形をとっている/とるしかない状態があって、それは結構なストレスになる。シンプルじゃない論理が、まだ幼い息子を諭すために叱りつけるという形になって表現されてしまう。

 自分の理解に及ばない出来事について怒られる、という経験について、もし私がそんな立場にあったら、とすぐ想像してしまう。とてもショックだと思う。でも怒らないというのは親として違う。それが毎日起こる。葛藤が一日の中で何度も起きて、頭が熱くなるほど疲れてしまう。

 上に書いたのは子供と密着して生活するつらさの一つの例だけど、息子と関わりながら終日過ごす毎日に「死にたい」が現れてしまうのは、やはりこの色んな角度から溜まっていく疲労が原因かと思う。特に神経の感度が悪い意味で上がってしまっている生理前や満月の辺りは、感情が溢れて自分で制御できない時があって、そんな時は自己嫌悪も強くてやりきれない。

 息子と離れて暮らしたいとか、そういう意味では全くないけど、息子と離れる時間も必要だ。保育園の入園手続きの色々は、やってはいるけど入れると期待はしていない。

 週末、久しぶりに美容院に行く予定だから、外出して気晴らしになったらいいな。

 

自分の気持ちを知る 2019/06/17

 「死にたい」という言葉が胸の内にあった時に、どんな感情や気持ちが集積されて「死にたい」と表されるのかを書いておこうと思う。思いついたことを書いているだけだけど。

 

<雑な死にたさの内訳> 

・自分の気持ちが分からない

・ただ苦しい

・息子と接するのがつらい

・朝食に、お米を炊き忘れていたのでインスタントラーメンを茹でた。トッピングを色々と足して(目玉焼き、ねぎ、肉味噌、もやし)インスタントにしては手間をかけて作ったけど、息子は全然食べてくれなかった。

・香港の様子が知りたくて、テレビのチャンネルを息子の見ていたアニメからニュースに変えるよと言う。「やだぼくアニメみたい」と言われるが、「息子くんはもうテレビ見たよね、ママも見たい番組があるから交代して」と言う。息子に「どうしてニュースみるの、僕これ見たくない」と何回か言われる。

・食事を食べ進めずテーブルを離れてウロウロしたりおもちゃを手にとっていた息子を叱る。席に戻るが食事に手をつけないので「もう食べないの?食べないならごちそうさまして」と声をかけると、「でもママは僕にぜんぶ食べてほしいんでしょ?」と息子が言う。「量が多いと思うから、食べられる分だけ食べて、それで残しちゃうなら別にいいんだよ」と返事をするが、「でもママは僕にぜんぶ食べてほしいんでしょ?」と再度言われる。同じ趣旨の言葉を返すが、また「でもママは〜」と言い出すので、「食べて欲しいけど、むりなんでしょ」と返事をする。「でもママは〜」とまた言われ、いい加減にしてほしいと思い「自分の欲しい返事をもらえるまでママに同じことを言い続けるの?」と言ってしまう。

・息子に「今日は最低な一日だ」と言われた

・ラーメンを残した息子が、お菓子を食べてもいいかと聞いてきたのでだめだと言った

タブレットでゲームをしている息子が怒りながら「このばかゲーム」と声を荒げていた

・日用品と食料の買い出しに行きたくない、天気はいいが外に出たくない

・息子は私の話の返事をせず自分の言いたいことだけを言うので、会話になっている気がせず怒りを感じる

・息子と離れたい

 

 気分が滅入ってしまう。冷静でいたいけどむりかもしれない。

 

診断名を知ってしまったこと

 昨夜、病院の紹介状を開けてしまった。転居先で行こうと思っている病院が合わなかったりした場合のためにコピーをとっておこうと思ったから。たぶん、本当はやってはいけないし原本じゃなければ意味はないのかもしれないのだけど、知りたいなっていう気持ちもあって開けてしまった。軽い気持ちで開けてみたら、随分とショックを受けた。

 診断名は、境界性人格障害ADHD

 なるほどそうかと納得もしたし、その診断をまだ受けるのか、とつらい気持ちにもなった。

 

 実家に帰ってから一度、仕事をしだす前に精神科に行ったことがあった。生育歴や通院歴を話した長いカウンセリングの後に、医者と話して言われたことは、「あなたは境界性人格障害で、治るものではないから、私はあなたを診ません」ということ。

 治療を受ける資格すらない。結局、働きだしてから自律神経をおかしくして他の病院で診てもらうことになったけど、今日に至るまで、境界性人格障害という診断名は、私にとっては社会から疎外されてしかるべき存在につけられる名前なのだという認識がどこかであった。

 境界性人格障害の人間に見られるという、強い怒りと攻撃性。思い込みの強さ。他者を動揺させるような自傷行動。

 全部身に覚えがあって、私が関わったせいで傷つけた人たちに申し訳なくて、どうして私はこうなんだろうと、生まれついて持ったコントロールできない感情や思考の特性が憎かった。

 

 働きだしてADHDだという自覚を持ち始めた後、自分の思考の癖を直そう、特性を少しでもコントロールできるようにしようと思って、不注意を減らせるようにとか、衝動的な感情を他者にぶつけないように抑える訓練を自分なりにするようになった。せめて自分で選んだ仕事では人に迷惑をかけず、自立できるようになりたいと思ったから。一人で暮らせるだけ、息子と二人で暮らせるだけの力が持てれば、実家の家族とも離れて、傷つけずに済むようになると思った。

 そう思って仕事をがんばったけど、やっぱり過集中の反動で倒れたりとか、希死念慮が消えなくなって、もう本当に無理だ、やっていけない、死のうと思って、たくさん処方されていた薬を全部飲んだ。ストラテラまで飲んだのは意味がわからないけど、でもその時は、自分が傷ついていることに気づいて欲しくて過量服薬をしたわけじゃなかった。ただ苦しみから解放されたかった。

 その出来事のあと、仕事をやめて、恋人と出会って、通院しながら一年と少しかけて徐々にやれる家事の量が増えて、恋人と息子と三人で暮らすことを決めた。胸を張れるほどではないけど、自分の感情や思考を落ち着かせるように、自分で感情の舵取りが昔よりはできるようになったと思った。

 

 それで、自分に少し自信を持ってもいいかな、と思えるようになったけど、通院していた病院でも結局、『境界性人格障害』というラベルが自分についていることを知ってしまった。

 どう頑張っても他の人みたいに仕事がこなせなくて、学校だって卒業できなくて、子育てもちゃんとできなくて、それで、人にとってはただ迷惑な、治らないと言われるパーソナリティを持っている。じゃあがんばればいい、悪いところは直していけばいい。わかっている、やっていく。

 じゃあなぜ、診断名に人格障害だと書かれていることがそんなにショックなのか。自分が傷ついた時に、不安な時に、他者を傷つける意図のある行動・行為をしようとしている自覚があるから。

 きっと、医者の人が考えているように、この性質は治らない。ずっと自分を律していかないと、大切な人を傷つけたり、関係を壊していって孤独になる。わかってる。

 

 また転居先で新しい医者にかかる時、私は「境界性人格障害ADHDの患者」としてスタートする。でも、「境界性人格障害ADHDを自覚して他者を攻撃せずに生きようとしてい」る自分がいなくなるわけじゃない。傷ついても諦めない。

 どういう行為や行動が「やさしい人」なのか分からないけど、がんばる。