げぷろぐ

好きなことをダラダラ

気分の変動

 前回のブログで「死にたい」という言葉に収束してしまうつらい気持ちの理由を綴った。生きるために「死にたい」を自分で消せるようになりたいから、理由の一つ一つに対処法を持てればと思った。

 子供といる時間は楽しい時もあるしつらい時もある。一日のことを書こうと思うと、一つ一つの出来事の消耗感が脳内で再現されてつかれるのであまり書かないけど、とりあえず言えるのは、息子の望むこと・私が親としてしてあげたいこと・やらないとその後何も出来なくなってしまう息子にまつわるお世話的なこと、それら全てに取り組もうとしても、気力も体力もついていけない。

 育児は感情労働としての側面が私には強い。例えば階段から飛ぶように降りるのをやめて、と息子に注意する時には、危険なことをした息子を叱らなくちゃ、という気持ちと、もし怪我をしたら、という時の言い表せないショックの予感が同居している。感情が同居していて、さらにそれが表出する時には怒りという形をとっている/とるしかない状態があって、それは結構なストレスになる。シンプルじゃない論理が、まだ幼い息子を諭すために叱りつけるという形になって表現されてしまう。

 自分の理解に及ばない出来事について怒られる、という経験について、もし私がそんな立場にあったら、とすぐ想像してしまう。とてもショックだと思う。でも怒らないというのは親として違う。それが毎日起こる。葛藤が一日の中で何度も起きて、頭が熱くなるほど疲れてしまう。

 上に書いたのは子供と密着して生活するつらさの一つの例だけど、息子と関わりながら終日過ごす毎日に「死にたい」が現れてしまうのは、やはりこの色んな角度から溜まっていく疲労が原因かと思う。特に神経の感度が悪い意味で上がってしまっている生理前や満月の辺りは、感情が溢れて自分で制御できない時があって、そんな時は自己嫌悪も強くてやりきれない。

 息子と離れて暮らしたいとか、そういう意味では全くないけど、息子と離れる時間も必要だ。保育園の入園手続きの色々は、やってはいるけど入れると期待はしていない。

 週末、久しぶりに美容院に行く予定だから、外出して気晴らしになったらいいな。