げぷろぐ

好きなことをダラダラ

回想するということ

私は計算や人の話を聞くのは苦手だけど、本を読むのは好きだ。

好きな本に、植本一子さんの『かなわない』という一冊がある。

子どもを産んで、色々と生活のことで息がつまりそうだった時に夢中で読んだ記憶がある。日記文学とでも呼べるのだろうか。回想録が何篇かと、ほぼ毎日のことを書いた日記が細かく詰まった本だ。

同じ時代に今も生きている人で、本の中で書かれる植本さんの人生の周縁の一部には私も過去懐かしく思うところがあって、著者のことを知らないのに知っているような気にさせられる。こういう共感を私は好まないので、自分でそういう感情を持つことがあまりいいとは思えないのだけど。

ただ、日々のことが文章に残されていることはとても羨ましく思う。

私は習慣づけて何かをすることが苦手で、日記も何もあまり続かない性質。ブログも書いては消して、そればっかり。

人に自分の気持ちを話すことが怖いので、よくない感情が溜まって、でも吐き出さずにはいられないような時には長々とその気持ちを文章に残していたことはあった。

一応、自分の中では価値がある。読み返すとつらいから滅多に読まないけど。

 

感情を言葉にするのが苦手だから、十代の頃は文章を書くことが救いだった。私には話すことの代わりに文字がある、そう思っていた。

話し下手は相変わらずで、文章に救われているのは今も変わらない。だから、つらくない時のこと、なんてことない日記も書けばいいのではないだろうか。

後になったらこんなこともあったなあって喜べるかもしれない。