げぷろぐ

好きなことをダラダラ

何年か前

畳の上で、まだ満足に歩けない子供がころころとおもちゃを手に取り遊んでいる。私はキッチンに立って、義母となんでもない朝の会話をしながら子供の離乳食を作っている。いつもの朝、背景に溶け込んだ報道番組について義母が感想を投げかけてくるので、それに応える。

毎日繰り返される事故、政治、芸能、スポーツのニュース。3S政策と言って、テレビで流されるスポーツ、セックス、スクリーンの話題は国民から政治的問題の関心を逸らす意図があるという、陰謀論とも言える主張を聞いたことがある。わからないでもないが、信じているわけでもない。でも、そんな愚民的政策に踊らされる暇もないほどに疲弊している人間だっている。 

生活。食事をするには食事を作らねばならない。食事を作るには食材を買いに行くか、作物を作るかしなければならない。食材を買うには働いて金銭を得なければならない。

そうして得た食料を調理するためには皿を洗い、調理器具を用意し清潔に洗い、また生活の質を一定以上に保ちたいならば、健康のため食生活にも気を使い、栄養のバランスのとれたメニューを考える必要がある。

離乳食。消化器官が未発達な乳児は、母親の母乳や人工の粉ミルクで大体一歳くらいまでは育つ。だけれど、私は子供の乳歯が生えてきたころに乳房を子供に噛まれるのがどうしても痛くて我慢ならずに、子供が十ヶ月の時に母乳での育児をやめて離乳食に移行した。

離乳食を作り、テレビに背を向けている私に、また事件だって、こわいね、と義母が言った。人が死ぬことは痛ましい。けれどもそうした出来事に対して、毎回自分や周囲の人間のことを重ねてしまっては、心が摩耗しきってしまう。スクリーン越しの報道で見る悲しい出来事に対しては、それは自分や自分の大切な人たちに起きた出来事ではないのだと、盾をしっかりと持って傷つかないようにする必要もある。

(もちろん、傷ついている誰か、救えるかもしれない誰かのために、何か力になれることがあるならば、なりたい。ただ、今の私、当時の私は社会の中の誰かのために動くより、自分や家族の健康や幸せを立て直さないといけない時期であると思っている。)

ただ、その日は違った。私が数年前に離れた地元で起きた事件だと、背後から音声が伝えてくれた。すぐに、振り返りテレビの画面を見た。

嫌な予感がした。知っている名前が出ていた。

頭で考えるより先に声が出る。嘘だ、と叫んだことを覚えている。

盾を構える暇がなかった。あったとしても、意味はなかっただろう。

それからはずっと、変化の日々だった。

悲しい出来事は、ぺしゃんこに潰れそうになるまでずっとのしかかってきて、今でも胸の底で、あの日の私に重みをかけたままでいる。

今の私は、あの日から時間をかけて上書きした自分によって支えられている。

これからもずっと、あの日からを上書きして行く。