げぷろぐ

好きなことをダラダラ

ルッキズム

太ったし、髪の毛は伸ばしっぱなしでボサボサ。働かなくなってこれといった収入もなく、趣味だったちょいちょいとした新しい衣服や化粧品の購入もなくなり、今欲しいものといえばもっぱら本かゲームソフト。でもそれすらも家にある本を読んでからでいいか、ゲームはネトゲでいいや、となり、体は肉がついているけど、内心はギラつかなくなって油が抜けたような感じがする。

ほぼほぼ引きこもりの生活で、見た目でジャッジされたり収入に変化が起きる環境に身を置かなくなって済んでいるので、気が抜けている。外出しなくなって生活の中での運動量が減り、太ったというのはある。でも、そのままでも何とかなっている。

恋人と出かける時くらいヒールでも履いて女性らしくするか、と思うも、それも外出先で靴擦れを起こして、オシャレに気をとられるよりも、ちゃんと歩けて楽しくデート出来たほうがいいよ、と恋人にスニーカーを買ってもらう結果に終わったりした。

今、自分の人生の中でも最も太っているレベルの体型になっている。飲んでいる薬の副作用で体重増加が顕れているというのもあるし、生活習慣のせいでそうなっているというのもある。だけど、それを理解した上でも、痩せるために運動したり食生活を見直して自分を変えよう、と思うほどのプレッシャーが今はあんまりないと思う。

家にいていいし、恋人は痩せて美しくなることを私に強要してきたりもしない。これは堕落なのかと聞かれれば、否、と思う。自分の見た目が美しいことで、自分を自分で認められて嬉しいと思うこともあるのかもしれないけど、私は生来怠け者だし、他人に見た目の美しさを求める方でもないし、自分にも美しい体でいてほしいとも、正直そんなに思わない。だって身体って、私にとっては頭蓋のあたりに本体が宿ってロボットを操縦してるような感覚で、よくできたスーツだなあ、といった感じ。

見た目に気を使ったり、ダイエットしなきゃと思っていたのも、他人からの視線を気にしてのことだった。場所にもよるけど、可愛ければとりあえず他人から邪険に扱われる機会は減るし、自信を持っているような姿勢でいても他人に疑問を抱かせることもなくて、簡単に言えば、その方が生きやすかった。

今後の考えがどう転ぶかはわからないけど、私が一番面倒かつ怖かった、異性から見た目で扱いを変えられることに対しては、今は解放されている。たぶん今後もそうだと思う。

けどまあ、自分の中にあるルッキズムは消え去っているわけではなくて、絵画や花を見て美しいと思うように、人間を見ても美しいとか思う感情はある。ただその感情が、社会という層に身を置いた時に、他者に対して作用してしまうのは面倒で。自分にその視線が向けられるのも、面倒くさいって思ってしまうんだろう。

 

…綺麗になりたい、は、私の場合は本心じゃなくて、私が人からの視線に怯えているから、綺麗にならなくては、と思っていたんだな、というお話でした。