げぷろぐ

好きなことをダラダラ

覚醒

二日ほど前、友人と会っていた時に突然頭痛と吐き気に見舞われて会合を途中でお開きにして帰宅した。頭痛もするし、その時から頓服薬の使用を控えていたのだけど、そうしたらなんだか頭が冴えてきた気がする。

去年からずっと、文章が長く読めないし中々書く気にもならなくて、どうも過剰服薬の後遺症で頭がぼんやりしたままなのかもしれないと思っていた。基本的に集中を続ける体力と気力が弱く、本は五分も読めば疲れてしまって内容が頭に入らないし、得意だった速読も出来なくなっていた。

なんだけど、この二日頓服薬(コントミン)の使用を控えてみたら、あら不思議、なんと本がすらすらと読めるように戻っているではありませんか。

しかも文章も打てるようになっている。一日に二錠か三錠は頓服を服薬している状態で、おそらく起床時は常時薬の効果を切らしていなかったのが、二日ぽっち断薬しただけで治るのか(身体から薬の成分は抜けきるのか)は知らないけれど、ともかく文章が読めるし、書ける。常時寝起きのような頭だったのが、やっと覚醒したような感じなのだ。

とにかく嬉しいのが、文章を読むスピードが回復したこと。

元から集中力にムラはあったけど、入院後は昔の自分の読書スピードからは考えられないほど識字速度が遅かったのが戻った。キーボードを前にしても言葉が出てこなくて困っていたのが治った。もともと口下手で文字で言葉をまとめないと頭の中が整理されなくて、話し言葉は中々出ないけれど書き言葉なら出るタチだった(でもチャットとか対人系の発話はオンラインでもダメ)。だから話すのが上達しないのはしょうがないにせよ、日記が書けないことは自分の中では結構な悲しみだった。壁打ちでも文字で発話することは、自分なりの溜まっていたものを発露する方法だったから。

十代の頃、一時期力を入れて書いていた長いブログをプロの編集者の人(当時の知り合い)に褒められて、人に自分の書いたものが認められる喜びを知った。産後は詩を書いた時に初見の集まりで人から感想を貰えることが嬉しくて、私は書いていてもいいんだと安堵したし興奮した。私の書くもののほとんどは誰に認められるためでもなく自分のPCのフォルダ内に眠るばかりだけど、ただこうやって自分の言葉が出てくることが今は嬉しい。

薬は最低限の量を飲んでいるだけだと思っていて、精神も安定してこれ以上変われるところはないと思っていたけど、違った。文章が書けないのは薬の影響だったのだ、きっと。過剰服薬で自殺しようとした罰で、私の脳からは創造性や言語野の能力がほとんど死んでしまったのかと思っていたけど、すごく救われた気分だ。

まだ私は読めるし、書ける。今日の気分は最高だ。

ちなみに、頓服薬を身体から抜いて最初に読み終わったのは鈴木智彦さんの『サカナとヤクザ』。築地潜入の章とウナギ流通について海を渡ってまで取材をした章が記憶に残った。また読み返したいな。同著者の『ヤクザと原発』も震災後読んで面白かったのだけど、失くしてしまったのでそのうち買い直して読みたい。